[2018年11月04日 主日礼拝説教要旨]

「契約を立てる」
創世記9:8−17

 ノアの洪水物語から聞く。洪水の後、神は「もう人を滅ぼすことはしない」と誓われた。神は人が罪を犯し続けることを承知の上で、滅ぼさないと言う和解の契約を立てられ、しるしとして虹を立てられた。ヘブル語の“虹”は弓を意味する。人を滅ぼす弓はもう引かない、神はその武器を雲の中に置かれた。それは人が洪水に洗われて清くなったためではなく、人が滅びるのを見ることは悲しいからだと神は言われている。神が自己の正しさを放棄され、被造物がどのように罪を犯し続けても、これを受け入れると約束されたのである。親は子がどのようにそむき続けても子を受け入れる。神も創造者ゆえに、被造物を愛され、被造物の罪を赦される。神は捕囚の民に言われる「私はあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す」(イザヤ46:4)。終末の日まで二度と滅ぼすことはしない、天地は神の憐れみと忍耐で保持されているのである。洪水物語の焦点は洪水にあるのではない。洪水の結果、神ご自身の中にもたらされた変化の中にあるのであり、その変化こそが被造物にとって新しい生存を可能にするのである。
 ペトロ一3:20-21新432頁「この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです」。洪水の後、神は人を再び滅ぼすことはしないと約束された。どのような苦難も有限なものになった。バビロンの地で絶望の中に沈む民は、ノアに語られた神の言葉に、自分たちの生存の希望を見出していった。捕囚の地の預言者イザヤは神の言葉を取り次ぐ。「これは、私にとってノアの洪水に等しい。再び地上にノアの洪水を起こすことはないとあの時誓い今また私は誓う。再びあなたを怒り、責めることはない、と」(イザヤ54:9)。「あなた方を見捨てることはない」、捕囚の民は洪水物語を通して神の赦しを聞いたのである。洪水物語は新約聖書記者にも大きな影響を与えた。ペトロは洪水の意味をバプテスマの中に見ている。私たちはバプテスマによって葬られ、水から上がって復活の命に生きる。人は救われるために一度死なねばならない。洪水を通してこそ救いがあるとペトロは言っている。
 私たちの罪にかかわらず、神は再び私たちを滅ぼすことはないと宣言された。私たちの教会もこの宣言を聴きたい。私たちが再び罪を犯して裁きを与えられる時はあるかもしれないが、滅ぼされることはない。だから私たちは教会という箱舟を基に出て地域に福音を伝える、洪水を経て与えられた新しい地に仕えていく、それがこれからの私たちの教会の歩みである。多くの信仰の先輩の皆さんに倣って、主の導きに従って歩み始めたいと願うものである。

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