[2018年10月07日 主日礼拝説教要旨]

「忍耐強く生きる」
使徒言行録5:27−42

 箴言に「あなたの業を主にゆだねれば、計らうことは固く立つ。」「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」とある。主イエスは、「明日のことまで思い悩むな。」と言われた。今日与えられた使徒言行録には明日を思いわずらわない者の歩みが示されている。
 使徒言行録4、5章には大祭司、フアリサイ派らから主イエスの福音を伝える使徒達が迫害を受けたことが記されている。聖書は自らの命をかけて主イエス・キリストの真実を語り続けている使徒たちの姿とフアリサイ派のガマリエルの生き方を対比させて、使徒たちのように生きるように告げている。明日のことは分からない。それは使徒たちもガマリエルも同じである。ガマリエルは、分からないから明日のことは判断しない。しかし使徒たちは、分からないけれど今自分がしなければいけないこと、語らなければいけないことを語っているのである。ガマリエルの知恵は人の知恵であり、使徒たちを導いているのは神の霊である。私達は人間の知恵によって歩むのではなくて、神の霊の導きによって歩むのであある。使徒たちには恐れがない。しかし、ガマリエルには「神に逆らう者となるかもしれない」という恐れがある。私達も明日を知れない。しかし、神様の御心に従い、神様の御業にお仕えしていくならば、私達には恐れはない。神の国と神の義とを求める中で、「明日のことまで思い悩むな。」との主イエスの御言葉の中に生きることが出来るからである。そして、この明日を知らぬ私達に与えられている平安こそ、私達が神から出たものであることの確かなしるしなのである。
 使徒たちは鞭で打たれて、イエスの名によって話してはならないと命ぜられて、釈放された。しかし、彼らは恐れ、怯えたのではなく、喜んだ。彼らはきっと、山上の説教において主イエスが語られた言葉を思い起こしたのだと思う。「義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。・・・あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5:10〜12)私達は、主イエスの御名を語ろうとして相手が聞いてくれないと、もうムダだとすぐに諦めてしまう。しかし、使徒言行録を読むと、困難の中でなお喜び、諦めずに語り続ける、忍耐強く生きる使徒たちの姿に励まされる。そして、自分たちもこのように忍耐強く歩んでいきたい。本当にそう思うのである。この使徒言行録を読んだ代々の聖徒たちもそうだった。宗教改革者ルターは迫害の中で「我ここに立つ」と信仰を告白した。私達もこのような歩みが出来るよう、今、共に聖霊なる神様の支えと導きとを祈り求めつつ、歩んで参りたいと願う者である。

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