[2018年07月01日 主日礼拝説教要旨]

「主をよりどころとして生きる」
マルコ8:14−21・ガラテヤ5:2−11

 ガラテヤの人々は、割礼を受けなければ救われないとのエルサレム教会の影響を受けて、割礼を受けようとしていう。パウロは彼らに言う「自由を得させるために、キリストは私たちを自由の身にしてくださったのです。・・もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります」(5:1-2)。「律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います」(5:3-5)。パウロは続ける「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」(5:6)。
 私達は主イエスによって、何にも縛られない全き自由を与えらた。私達はこの自由を主イエス・キリストと一つにされた者として、主イエス・キリストに倣う者として用いるのである。つまり、神と人とを愛し、神と人とに仕えるというあり方で用いるのである。罪人である自分が、完全にキリストと似た者となる。私達はそのことを信じ、その日を目指して、愛に生きるのである。この歩みは、私達に働いてくださる聖霊なる神様の導きの中での歩みである。だから、落胆しないし、失望しないし、投げやりにならないし、何度でもやり直していくのである。そしてこの歩みは、「ここにまことに神様がおられる」との告白へと人々を導くことが出来る程の愛の交わりを形作っていこうとする。その愛の交わりとは、各々の家庭であり、地域であり、そして何よりこの教会である。この教会にいれば愛が分かる。自らの自由を互いに仕えるために献げ切っている者がここには居るからである。私達の教会は、その様な者たちの群れとして建ち上がっていく。そのためには、何よりまず私達一人一人が献げることの喜びの中に生きるということである。喜んで献げている人の周りには風が吹く。聖霊の風である。この風が渦を巻き、周りの人を巻き込んでいく。そして、さらに喜び献げる者の交わりが大きく広がっていくのである。一人で良い。一人が献げることの喜びに生き、仕える愛に生き切るならば、風が吹き渡り始める。この聖霊の風と共に愛の交わりは広がり、形作られていくのである。私達が居る所では、喜んで献げ、仕える者が起こされていく。それが新しく創造されることである。「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」(6:15)。聖霊なる神様の導きの中で、そのような証人、「主をよりどころとして」して私達が立てられていくことを信じ歩んでまいりたいと願う者である。

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