[2018年01月07日 主日礼拝説教要旨]

「神と人に愛されて」
ゼカリヤ8:1−8・ルカ2:41−52

主イエスは神と人とに愛されて育った。12歳と成人した主イエスは両親とエルサレム神殿に参拝の為に上って来た。両親達は帰路に付いた時、主イエスは、律法学者達と議論していたが、両親はわからず、主イエスを捜しまわった。「心配していた。」マリアの気持ちは判る。しかし、主イエスは「父の家にいる」と答えた。「自分の父」として神様を指しているのである。ここに「まことの神の子」としての答えの意味がある。それが明らかになるのは、十字架と復活においてである。主イエスはナザレに帰り、マリアとヨセフに対してお仕えになった。「まことの神」が「まことの人」として、父と母に仕えたのである。主イエスは神の子が人となり、その方が十字架にかかり復活されたのである。今年も「まことの神」にして「まことの人」である方、主イエスを信じて歩んでまいりたい。

トップ説教要旨 > 2018年01月07日 主日礼拝説教要旨