[2017年06月02日 主日礼拝説教要旨]

「教会の旅立ち」
使徒1:12−2:13

 今朝、私達はペンテコステの記念礼拝を守っている。主イエスの弟子たちに聖霊が降り、復活の証人として立てられ、キリストの教会が新しく歩み出したことを喜び祝う礼拝である。聖霊はただ一度だけ弟子達の上に降ったのではない。聖霊はその後も教会に注がれ続けている。聖霊によらなければ、誰もイエスは主であると告白することは出来ない。
 2章1節「五旬祭の日が来て」とある。この五旬祭というのは、旧約では七週の祭りとも呼ばれ、元々は小麦の収穫感謝の祭りであった。後に、律法授与の日、更にノアが神様と永遠の契約を立てた日、アブラハム・イサク・ヤコブがその契約を更新した日とされた。この七週というのは、過越しの祭りから七週、50日後ということである。
 主イエスが十字架におかかりになったのが過越しの祭りの時。神の民が神の裁きを過ぎ越した日、神様の救いに与った日に、主イエスは十字架に架かったのである。そして、神の民が律法を与えられ神の民として歩み始めた日に、聖霊が降った。これは偶然ではない。神様の救いの御業、救いの御計画というものが、一貫していることを示している。神の民イスラエルに与えられた神様の救いの御業が、主イエス・キリストの救いの御業へと続いている、そのことを示している。ペンテコステの出来事は、実に、旧約以来の神様の救いの御業の流れ、つながりの中で与えられた出来事なのである。
 このペンテコステの出来事は、旧約からのイスラエルの歴史、そして主イエスの十字架・復活・昇天の出来事からのつながりの中で起きたとするならば、このペンテコステの出来事も又、これだけで終わるはずがない。次の神様の救いの御業、決定的な御業、主イエス・キリストの再臨へと続くはずである。代々の教会は、そして私達は、このペンテコステの次に与えられる、主イエス・キリストの再臨の時を信じて待ち望みつつ、為すべき今日の務めに励みながら、祈りながら歩んでいるのである。弟子たちが、主イエスの昇天の後、ペンテコステの出来事を祈りつつ待ったようにである。ただ今から与る聖餐に、代々の聖徒たちは、まさに神の国で与る主の食卓を思い、与ってきたのである。今朝、私達は一人の転入会者を与えられている。他にも受洗、転入希望の方が数人居られ準備を進めている。感謝である。私達は何を為すべきか。それは喜びの福音を宣べ伝えて行くことである。聖霊は、教会が福音を持って、人々の所へ出て行く力を与えて下さる。私達川口教会は多いに主イエスの証人としての使命を果たす為に、これから旅立って参りたいと願うものである。

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