[2017年5月7日 主日礼拝説教要旨]

「終わらない命がある」
イザヤ60:1−5・ヨハネ11:17―27

主イエスの愛は、ラザロのよみがえりを通して、悲しみに沈むマルタとマリアの姉妹を復活させた。イエスの愛は十字架で逃げ去った弟子たちの前に再び現れることを通して、弟子たちの信仰を復活させた。「罪と罰」で、ソーニャの信仰を通して殺人者ラスコリニコフを復活させたことが記されている。ラスコリニコフは罪の赦しを確信したとき生き返った。自分はもう一度人生を始めることを赦されていることを信じた。イエスは言われた「私は復活であり、命である。私を信じる者は、たとい死んでも生きる。…このことを信じるか」。復活の信仰とは、どのような状況に置かれても、私たちはやり直すことが出来るという再生を信じる信仰である。「このことを信じるか」。復活を愚かなこととして捨てることは易しい。しかし、捨てても何も生まれない。この復活の出来事の中に真理があるのではないかと求め始めた時、そこに何事かが起こる。ドストエフスキーは私たちにそう知らせている。神の愛は死よりも強い。その確かな「しるし」が、主イエスの復活であり、ラザロの復活という出来事だった。この主イエスの愛が私達を、死を超えて生かすのである。

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