[2017年04月02日 主日礼拝説教要旨]

「仕える為に」
イザヤ25:4−10・マルコ10:32―45

主イエスは弟子達に、三度目の十字架と復活の予告をされた。それだけに弟子達は驚き恐れた。ヤコブとヨハネは、「栄光をお受けになるとき」右、左に置いて欲しいと願った。ペトロのように自分達にも特別な地位を与えられるという約束が欲しいと思った。彼らは、復活される主イエスと一緒に神の国を支配するのだ。この時、弟子達はそう思っていた。これは、この世の秩序と神の国の秩序を同じように考えている。しかしこれは、主イエスが与えようとされた福音ではない。神の国の支配者は神様であり、愛で支配される。その神様の愛が、主イエスの十字架というあり方で示されたのである。この主イエスの愛に応えて生きる私達。「僕になりなさい。」の御声に従いたい。そこに私達の喜び、私達の希望がある。

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