[2017年03月05日 主日礼拝説教要旨]
「悪魔を退けて進め」
申命記6:4-15・マタイによる福音書4:1-11
主イエスは3つの誘惑に遭われた。今日は二つ目と三つ目の誘惑に着目する。主イエスが遭われた第二の誘惑は、神殿の屋根から『神の子なら、飛び降りたらどうだ。』といことである。これは人々は主イエスに奇跡を求めに来るのであって、自分が罪赦され、新しくされる、神様の御心に適う者として生きる、そのようなことは誰も求めなくなる。主イエスが偶像化される。実に、悪魔の誘惑の目的はそこにあったのである。このことは、私達の信仰においても、このような「しるし」を求める信仰への誘惑というものがある。この誘惑は、実に私達の偶像を求める心に働きかけようとするものだったのである。そして悪魔はここで聖書の言葉を引用して誘惑するという巧妙な手口を用いた。聖書の言葉というものは、自分を正当化するために利用しているか、自分が従うべき言葉として聞いているかという違いである。第三の誘惑。「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」悪魔が与えると約束するものは、すべて「この世の繁栄」である。主イエスを神様から引き離す。十字架への道を歩ませない。これが悪魔の誘惑の本質である。それは私達が受ける誘惑の本質でもある。主を拝み、ただ主に仕える。私達がどのような悪魔の誘惑、試練に遭おうとも、決して揺らいではならない。自らの罪を悔い改め、御心に適った歩みが出来るように。悪魔の試みに遭うことがないように。そう祈れば良い。神の言葉に与り続ければ良い。主イエスは守って下さる。