[2017年02月05日 主日礼拝説教要旨]
「譬えを聞いた者は」
イザヤ6:8−13・ルカ8:4−15
今日の聖書の箇所は「種まきのたとえ」と言われている。このたとえを聞いているのは大勢の群集である。この話自体、難しいところは何もない。当時の人々が毎年目にしていた光景である。しかし、主イエスがこの話を終えられた時、一体主イエスは何を言わんとしたのか?その話のあとで主イエスは、「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言っておられるから、これには別な意味が含まれているということが分かる。主イエスの弟子達は「先生、このたとえの意味は何ですか?」と質問する。10節〜15節で、主イエスは応える。「種とは神の言葉、土とは神の言葉を聞いている人々、そして、いろいろな土の種類は神の言葉を聞くいろいろな種類の人々を指している」と言われる。このたとえは、まかれるすべての種が実を結ぶとは限らない、ということを教えてくれるが、神の言葉を伝えよう、宣教しよう、奉仕をしよう、としている人達に対する励ましのたとえである。奉仕に疲れ、伝道に疲れ、誰かを主に導こうとして疲れ果てている人に慰めをもたらしてくれるたとえである。キリストの救いを見いだし、人生の多くの試練を乗り越えていく力が与えられる。淡々と黙々と信仰に生きていくという人たちが必ずおきてくる。宣教の業は決して徒労に終わらない、教会の業とは、決して無駄にはならない、ということをこのたとえは私たちに示してくれる。誠実に信じて歩んでいきたい。