[2016年05月01日 主日礼拝説教要旨]

「私は世に勝っている」
ヨシュア記1:5−9・ヨハネ16:25−33

 ヨシュアに率いられたイスラエルの民は、ヨルダン川を渡り約束の地、カナンに入る。その時にヨシュアに与えられた神様の言葉が、ヨシュア記1章5節以下に記されている。「強く、雄々しくあれ。」この根拠は、「わたしがあなたと共にいる。」ということである。イエスという名前は、ヘブル語読でヨシュア。主イエスは私達を罪の奴隷の地から救い出して、約束の地、神の国へと導き入れてくださる。古いイスラエルにとっての約束の地は、カナンの地であった。しかし、新しいイスラエルにとっての約束の地は、神の国、永遠の命である。主イエスは、新しいイスラエルである私達も神の国へと、永遠の命へと導いてくださるのである。約束の地に入るために必要なものは何か。信仰である。神様が共にいてくださるから大丈夫、そう信じて委ねることなのである。私達の信仰というものは、まことに当てにならない。そんな弱い私達に主イエスは「勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」と呼びかけてくださるのである。
ヨハネ16:25−33。30節は弟子達の主イエスに対しての立派な信仰告白である。これは次の日にはもろくも崩れてしまう。主イエスはそのことを百も承知なのである。そのようなことは承知の上で、「大丈夫だ、恐れるな、勇気を出せ。」と言われたのでる。私達の信仰は、自分の熱心によって保たれるのではない。この主イエスの、それでも私達を見捨てることのない愛。ここに私達は依り頼む。それが私達の信仰なのである。
14章から続いてきた、惜別説教の結論は、33節に記されている主イエスの御言葉である。33節「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」なのである。「世」とは、主イエスを十字架に架け、亡き者にしようとする勢力である。しかし、主イエスは、十字架の死から復活されることによって、この世の勢力に勝利される。この主イエスの勝利は、主イエスを信じ、主イエスと共に生きるすべての者が、共に与る勝利なのである。だから、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。」と言われるのである。主イエスが「勇気を出しなさい。」と告げるのは、主イエスの勝利、御自身を十字架に架けたこの世の勢力、サタンの力に、打ち勝って復活されたこの勝利が、実に私達にも及ぶことが約束されているということである。
 私達の目の前の敵、それは時代により人によってその姿を如何様にも変えて私達の前に立ち現れる。信仰への迫害、その場合、国家権力であったり、世の風潮であったりする。人の悪口、自分や家族の病気や老い、そして死。いじめられ、人間関係がもつれ、仕事のストレス、介護に疲れ、等々挙げれば切りがない。しかし、主イエスは既に世に勝たれた。この救いの事実に目を注いで、信仰を守りつつ歩みたいものである。

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